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卓球の思い出

卓球の思い出 (2007.12.27)

 東京新聞のホームページ12月27日付けに、卓球の伝説の人・荻原伊智朗(故人)が練習した道場が閉鎖されるとの記事がありました。
中学及び高校時代、それから社会人となってからも卓球を楽しんだことがあるので、故人の名はよく覚えています。故人が若かりしころ練習した道場が今まであったとことに驚くと共に、道場主の上原久枝さんの秘話に感動しました。
 私の中学時代は室内競技というと狭い教室での卓球しかなかったので、冬は毎日卓球をして遊びました。中学2年のとき、部落内の大会で優勝してシェークハンドのラケットを賞品に貰ってから、そのラケットを使ってのカットボールを緩急をつけて返球する守備の卓球が自分の得意の形となりました。
当時は今のように早い動きで打ち合う試合のやり方でなかったので、守備で相手のミスを誘うだけで勝負になったように思います。
高校時代には1年間だけでしたが卓球部に籍置いたことがあります。その頃は、福原愛の母校で知られる青森山田高校(当時は山田高校)の体育館に夜になると市内の有名選手が練習にくるので、特にシェークハンドで全日本トップクラスの選手もくるので、その技を見るに時々行きました。
 小学生の頃(昭和27年)、青森県出身の佐藤博治(故人)さんが、ボンベイ(インド)の第19回世界卓球選手権大会で男子(単)で優勝、他に男女ともダブルスで優勝するという初参加の日本が快挙を成し遂げました。これ以来世界の卓球王国日本が誕生し、その全盛時代を築いたのが前記の荻原伊智朗(故人)さんなのです。
 私の青春時代の一コマが呼び起こされ、しみじみと思い出に浸りました。


(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007122790134939.html

Wikipediaの「卓球」より引用

歴史
現在の卓球はもともと19世紀後半にイギリスで生まれ、その後発展してきた。もともとテニス選手が、雨でテニスが出来ず退屈だったので室内のテーブルの上でテニスのまねごとをしたのが始まりといわれている。はじめの頃は長い柄のついたバドミントンのようなラケットとコルクの球を使用し、ラケットには革や紙やすりなどを張っていた。その後、ラケットは現在のように短くなり、ラバーもゴム製のものになったが、長い間1枚ラバーしかなく、攻撃してもそれほど強い打球が打てなかったために、守りに徹した方が有利であった。1点とるのに、2時間以上もかかったという逸話が残っている。

この状況が変わるのは、第二次世界大戦後、日本において従来の1枚ラバーを裏返しにしてはる裏ラバーが使われ、後に世界中に広まることになってからである。裏ラバーは1枚ラバーよりもボールとの接触面積が広いためにより回転をかけやすく、回転をかけて攻撃することが可能になった。

さらにその後、軍事用に用いられていた独立気泡スポンジが卓球の用具として使われるようになると、ラバーの反発力が飛躍的に向上し、強い打球が打てるようになった。また、裏ラバーとスポンジを貼りあわせた裏ソフトラバーや、一枚ラバーとスポンジを貼りあわせた表ソフトラバーが

開発された。1950年代、日本は新しい用具を用いて世界選手権において各種目を総なめにした。

しかし1959年に国際卓球連盟は用具の制限に乗り出し、スポンジのみの使用は禁止され、その他のラバーについても厚みが4mmまでに制限された。

2000年から、ボールの直径は38mmから40mmになった。これによってボールの空気抵抗が増し、従来よりもラリーが続くようになった。しかしその一方で回転がかけにくくなり、またラバーが回転の影響を受けにくくなったために、カット型や前陣速攻型のような戦型はより戦うのが難しくなっている。現在ではドライブ主戦型が主流である。
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