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四国八十八カ所遍路のゴミ

 四国八十八カ所遍路のゴミ(2007/3/6)

読売新聞3月6日、朝刊社会面の「モラルを問う」に四国八十八カ所遍路道のゴミについて書かれていました。
平成10年に定年退職して、翌年四国八十八カ所の遍路をしたときのことが、いろいろと思い出されました。
中でも、遍路道の傍にいろいろなゴミが捨てられて、不愉快に思ったことでした。
そして、特に、31番竹林寺から一般道に出たところにテレビや大型ごみが捨てられていて、この寺の境内は美しい風情を見せてくれただけに
ゴミの山にはがっかりしたことが生生しく思い出されました。

 新聞記事には、白装束の中年男女3人が車からゴミを捨てていたこと、また遍路道沿いにはペットボトルや建築廃材などが多いと書かれています。

 人それぞれですが、何のために、何を求めてお遍路をしているのかと疑問を持たずにはいられません。
基本的には、所かまわずゴミを捨てる習癖が情けないことですが、少なくとも、遍路していて、四国のどこの人々も、お遍路さんには気配りと優しさを示してくれるし、時にはお接待といってお金や食べ物を恵んでくれます。

 余談ですが、山の上の六十六番雲辺寺にやっと登り着いたが、食堂が閉鎖されていたため昼食を食べられず、がっくりしていたときに寺の住職の奥さんが大きなりんごをひとつ恵んでくれました。
これには本当に助かり、元気がでて山を降りることができました。帰ってきて、その年の秋にりんごをお礼に送ったことがあります。

 そうゆう四国の人々の気持ちを感じて取っておれば、感謝をしても、生活の場にゴミを捨てるなんて考えられないと思います。
お遍路さんが後半になって、そのようなことに気が付いてくれることを願うばかりです。

 テレビや新聞に前記の記事に似た報道が多すぎます。各々の生活環境の中で中心的な存在であり、若年者、子供に手本を示さねばならない分別もある大人がなぜと、通常では信じられません。

 なぜ、このようなことになってきたのか。自分中心でしか気持ちが働かないのではないか。周りへの気配りなど全くなく、いろいろよかれとしたことが、結局は自分がよければいい、自分中心でしかなかったということのように思います。

 このように思う自分自身でも、四国八十八ケ所の遍路や秩父三十四観音巡礼では考え事しながら黙々歩くのですが、ふと気が付くと、これまで相手の気持ちを汲んでやったつもりが、随分と自分勝手な考えだけでやって来たんだなと、反省の気持ちになっていたことが度々ありました。
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